時事


私の友人Hさんが沖縄の県知事選の応援に行ったことは既に知っていました。強い台風にあって帰れるだろうか心配していた矢先に次のメールが届いたのです。

皆さま
一昨夜、沖縄の県知事選で歴史的な瞬間に立ち会うことができました。後講釈で恐縮ですが、私は玉城デニーさんが勝つような気がしていました。只、スタート時の投票率が低かったので、これまでにも予想をはずす外し続けたこともあって不安はありました。

報道陣が溢れかえる会見場で、個人的に「すぐに当確がでる」という極秘情報が入り、深夜までのデッドヒートを覚悟していた緊張感が一挙に解け、叫びたい衝動を抑えて至福の時を噛み締めていました。その時は予想より遅れてやってきました。全員が立ち上がり狂喜乱舞する中、デニーさんが涙を流して関係者・市民のエールを受ける姿に、私も目頭が熱くなりました。文字通り新時代を画期する瞬間でした。

今回の県知事選に於いて自分なりに何点か書き留めておくべきことを述べておきたいと思います。今回の勝利の胆の一つは翁長前知事が玉城デニーさんを後継の一人と指名していたことと、玉城さんの人柄としっかりとしたビジョンや考え方が翁長派経済人の信頼を得たことにあります。地元のある小売大手の経営者は負ければ潰されることを覚悟して応援したと聞きました。

もう一つは大きかったのは玉城陣営が「オール沖縄」のスタンスを明確にするため、野党各党の政党推薦を辞退して、「オール沖縄」の玉城と、辺野古を進める政権党自民と公明、補完勢力維新が推薦する佐喜真の対決の構図を県民に見える形で闘ったことです。電話かけは地の人がほとんどでした。

自民党の冷血漢菅官房長官や古狸二階幹事長、客寄せパンダ進次郎、多数の議員秘書団や、5000人と云われた公明党関係者、彼方此方でデニーさんの悪口を触れ回る創価学会のおばさんたちヤマトンチュウの集団は、ある種受け入れ難い軍団と映ったのではと想像しています。

今回、沖縄は沖縄特区と呼ばれるくらい良くも悪しくも公職選挙法の縛りがゆるい自治体だと実感しました。電信柱に軒並みポスターが貼られ、その上から県選管の警告が貼られていました。佐喜眞陣営も沢山「進次郎来訪」のポスターが貼られ、その上からやはり警告が貼られていました。但し、厳しく取り締まるようなことはないようなのです。

玉城サイドのポスターは縦書き二行、「ウチナンチュ マキテー ナイビランドー」と書かれ、県民の意地と良心に訴かけるシンプルフレーズで、琴線に触れるというのでしょうか、県民の心を揺さぶったように思います。これは県民「のび太」が政府「ジャイアン」に対抗する雄たけびのようであり、「沖縄県民は負ける訳にはいかない」と独特のウチナン抑揚でデニーさんが演説を閉める時のフレーズに呼応していました。

余談ですが、ビラも両陣営公示後も投函していました。マンションでビラ撒きをしていて、相手シンパと思われる住人に、「すぐそこに刑事が二人いるから、あんた捕まるよ。刑事にゴメンナサイしてビラ全部渡したほうがいいよ」と忠告され、「捕まってもいいならいいけど・・・」と更に言うので、「捕まってもいいんで、ポスティングさせてもらいます」と答えたらブツブツ云いながら離れていくということがありました。結局、刑事が呼ばれることはありませんでした。

話が横道にそれましたが、私が、玉城さんが勝つのではと感じたのは、上記の諸情勢に加え、県民の多くが辺野古が知事選の争点であると認識していたように思えたこと、直近の世論調査で沖縄での安倍内閣の不支持率が75%を超えていたこと、公明党の支持率が全体的に下落傾向な中、創価学会が一枚岩ではなくなってきていること、投票に行った女性全般の玉城支持がはっきりしていること等などです。

そして何より、沖縄は自立へ向け大きな可能性に溢れ、基地と補助金で県民を縛ろうとするこれまでの手法が、沖縄の発展の為には何の効力も持たないことが分っているからです。近年、島であるニュージーランドやハワイで投資が盛んになっています。自立と共生を訴える玉城新県政が、発展の余地が大きいアジアにあって、風光明媚な自然と基地用地の有効転用を上手にデザインすれば、かな地方自治ととても暮らしやすい社会のモデル地域となれると実感した次第です。

以上が私の友人から寄せられたメールの全文です。
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今朝のラジオニッポンの岩瀬恵子スマートニュースで、自民党中谷・元防衛大臣にインタービューがありました。中谷氏は辺野古の基地建設の必要性を力説しておりましたが、私には全く納得できる説明ではありませんでした。「北朝鮮にはまだ核兵器が残されていること、中国が軍備拡張して尖閣を狙っていること」を理由としてあげておりました。こんなことはもう聞き飽きたフレーズです。

南北朝鮮が平和構築に着実に進んでいること、何のための防衛か?、外交交渉は十分になされているのか?、日本は世界の変化から取り残されていないのか?、マハティールさんが日本国憲法を見習いたいと発言しているのは何故か?—–などなどこんな疑問がいっぱいあるのに何一つ答えていませんでした。

改憲問題は9条だけではない。私の大学の先輩の大学名誉教授の警告を改めて噛みしめている次第です。(以下再掲載)

「 改憲問題は9条だけではない。自衛隊の軍隊化の裏には自民改憲案の天皇条項がある。天皇を国家元首とし他方で政治的には発言させない、これは明らかに天皇の政治利用を目論んでいる。天皇の名において戦争ができる国にする。すなわち明治憲法に戻す動きが隠されているのではないか。

軍隊は警察と全く性格が異なり、国民を守る役割の警察とは似て非なる「暴力装置」だ。昔の「警察予備隊」とは全く異なりミサイルや軍艦・戦闘機、海兵隊、敵地上陸訓練までやっている今の自衛隊を合憲だと云う憲法学者は頭がおかしい。2.26事件、8.15のクーデター未遂事件を発端に軍部が権力拡大を図ろうとした歴史から、軍隊の厳しい実態を知るべきだ。

8.15では天皇の意を戴し、サンフランシスコ条約を受け入れ戦争を終わらせた鈴木貫太郎首相の殺害する行動にまで出た事実、満州事変の発端は2.26事件であったことなど、軍部が実権を握れば必ず容易に、戦争への道が開かれるのだ。

安倍首相は、場合によっては、このようなクーデター計画まで想定しているのではないか?、と考えてしまう。そうでないと民主化された民意に反してこのような決断は出来ないはずだ。 」

更に、今回の内閣改造で党役員の要職に下村博文氏と稲田朋美氏が就任したこと。このお二人は名の知れた日本会議の主要メンバーであり、日本会議は明治時代への回帰にこだわっている団体であること、日本会議のブレーン伊藤哲夫氏(日本政策研究センター所長)が自民党の改憲案に深くかかわっていること、等々懸念材料が一杯あるのです。

時事

以下の記録は2010年から8年間の記録です。今世紀に入ってから日本列島の災害が急に増加に転じ、1980年、1990年の各10年間と比較すると災害の大小の差はあるものの件数から云えば3倍の発生件数に達しています。

2010年代は8年に満たない期間ですでに1980年代の10年間の3倍の発生件数です。更にその内容をみると劇的な変化が読み取れます。地震の規模の大きさに加え、土砂崩れと水害が多く、猛暑と豪雪が続けておこるなど明らかに異常気象が影響しているのです。災害の影響は人的被害に加えて、インフラの脆弱性を露呈しております。

2010年代の災害
■2010年元日豪雪:前年12月31日から1月2日にかけて北陸地方・山陰地方において大雪。特急列車が30時間以上立ち往生し、Uターンラッシュにも影響。
■2010年チリ地震:1960年と同じく日本に津波が襲来。予想された津波よりは小さいものであったため、翌年の東日本大震災における津波からの避難遅れに繋がったと言われている。
■新燃岳噴火:2011年1月26日から噴火、その後噴火の規模が大きくなった。4月18日19時22分の噴火以降、際立った噴火は起こっていないが、[2]依然として爆発的噴火に警戒が必要である。
■東北地方太平洋沖地震(東日本大震災):2011年3月11日に発生したM9.0の巨大地震。
 (国内観測史上最大の地震)最大震度7。 東日本の太平洋沿岸部に多大な被害を与えた。
■長野県北部地震(栄村大震災):2011年3月12日に発生したM6.7の地震。
 長野県栄村では震度6強を記録しており、家屋の倒壊や土砂崩れなどの被害を受けた。
■福島県浜通り地震:2011年4月11日に発生したM7.0の地震。東北地方太平洋沖地震で誘発された余震。
 福島県いわき市で震度6弱を記録。また同市で土砂崩れにより3人が死亡した。
 またこの地震で復旧中の電力が途絶し最大約21万戸が停電した。
 翌日、同じような場所と深さでM6.4、最大震度6弱の地震が発生したが、この地震で誘発されたと思われるもので、 厳密には別の地震である。
■平成23年台風12号:9月2日~3日にかけて、西日本各地に大雨を降らせた。特に紀伊半島の奈良県南部・和歌山県で被害が大きかった。死者・不明者92人。
■平成25年台風26号:東京都の伊豆大島にて記録的な大雨による土石流が発生。集落を飲み込み死者行方不明者39人。
■2013年猛暑:8月上旬から中旬にかけて全国的に猛暑となり、高知県四万十市江川崎で当時国内観測史上最高となる最高気温41.0℃を観測した。各地で熱中症による救急搬送も多数あった。
■平成26年豪雪:普段は雪の少ない太平洋側でも大雪となり、首都圏などでスリップ事故が相次いだ。特に岐阜県・山梨県・長野県では大雪で孤立する集落が相次いだ。
特に鉄道の立ち往生が相次ぎ、中央本線では丸2日以上止まっていた列車もあった。
■2014年広島市土砂災害:2014年8月20日に広島市北部の安佐北区・安佐南区の複数箇所にて大規模な土砂災害が発生。土石流などで死者74人・家屋の全半壊255軒。広島市内の地質が影響し被害が拡大した。
■2014年御嶽山噴火:2014年9月27日11:52、登山客が山頂に多数居る時間に突然噴火。多くの登山客が巻き込まれた。死者57人。
■平成28年熊本地震:2016年4月14日21:26に前震(M6.5)が発生し、最大震度7を益城町で観測。その後、4月16日に本震(M7.3)が発生し、熊本県益城町(2回目)、西原村で最大震度7を観測したほか、熊本県と大分県の広範囲で震度6強~6弱を観測。なお、本震の際には大分県中部でも誘発地震が同時発生していた。
熊本県阿蘇地震:2016年4月16日3:55に発生したM5.8の地震。平成28年熊本地震に誘発された地震。
熊本県産山村で最大震度6強を観測。熊本地震の本震で震度6強の揺れに見舞われた南阿蘇村などでは、被害の拡大を招いた。
■大分県中部地震:2016年4月16日7:11に発生したM5.3の地震。平成28年熊本地震に誘発された地震。
大分県由布市で最大震度5弱を観測。熊本地震の本震(ほぼ同時発生した大分県中部の誘発地震)で震度6弱の揺れに見舞われた由布市・別府市などでは、被害の拡大を招いた。
■平成28年(2016年)台風第7号、第11号、第9号、第10号及び前線による大雨・暴風:2016年8月16日~8月31日に発生した台風及び北海道地方に停滞した前線による大雨により死者25名、住屋倒壊や浸水などの水害、農作物への甚大な被害(ポテトチップス用のジャガイモ、トウモロコシ、玉ねぎなど)をもたらした。
■大阪北部地震:2018年6月18日7時58分頃に発生した大阪北部を震源とするM6.1の直下型地震で大阪北部で観測史上最大の震度6弱を観測した。また、近畿地方で5弱以上の地震が観測されたのは■兵庫県南部地震(阪神淡路大震災)以来。
■平成30年7月豪雨:西日本豪雨とも。2018年2018年7月上旬に西日本を中心に発生した豪雨災害。死者は200人越え。水害による死者100人越えは平成に入ってから初、昭和期に遡っても長崎豪雨以来である。
■2018年猛暑:5年ぶりに40度超え、熊谷市で最高気温記録を更新する41.1℃を観測した。下呂市、美濃市でも41.0℃を観測した。他に都内の青梅市で40.8℃、名古屋市で40.3℃、京都市で39.8℃を観測した。
■平成30年台風21号:1993年以来25年ぶりに「非常に強い」勢力で上陸した。大阪湾で第二室戸台風の時を上回る3mを超す高潮を観測し、関西国際空港では滑走路が浸水し、連絡橋にタンカーが衝突して孤立状態となった。

■平成30年北海道胆振東部地震:2018年9月6日3:08に発生したMj6.7の地震。胆振地方で震度7、新千歳空港で6弱、札幌市で5強を観測。苫東厚真火力発電所の緊急停止から発生したブラックアウトにより全道295万戸が停電となった。(以上、ニコニコ大百科より)

このような大規模災害が起こるに際し、日本の古典文学屈指の名文と評される『方丈記』が気にかかります。方丈記は、800年前も今も変わらない無常の世界を描き、私たちに「なぜ生きるのか」を示す書だったのです。

ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。淀みに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。

世の中にある人とすみかと、またかくのごとし。  たましきの都のうちに、棟を並べ、甍を争へる、高き、卑しき、人のすまひは、世々を経て尽きせぬものなれど、これをまことかと尋ぬれば、昔ありし家はまれなり。あるいは去年焼けて今年作れり。あるいは大家滅びて小家となる。住む人もこれに同じ。所も変はらず、人も多かれど、いにしへ見し人は、二、三十人が中に、わづかにひとりふたりなり。

朝に死に、夕べに生まるるならひ、ただ水のあわにぞ似たりける。知らず、生まれ死ぬる人、いづかたより来たりて、いづかたへか去る。また知らず、仮の宿り、たがためにか心を悩まし、何によりてか目を喜ばしむる。その、あるじとすみかと、無常を争ふさま、いはば朝顔の露に異ならず。あるいは露落ちて花残れり。残るといへども朝日に枯れぬ。あるいは花しぼみて露なほ消えず。消えずといへども夕べを待つことなし。

①大 火(1177年、  鴨長明:23歳)
②竜 巻(1180年、  鴨長明:26歳)
③飢 饉(1181~2年、鴨長明:27歳)

④地 震(1183年、  鴨長明:29歳)

これより後1300年代~に書かれた太平記も戦乱と災害で世が乱れた様子が描かれています。

そもそも「太平記」とは、後醍醐天皇が倒幕運動を開始した正中の変(1324)から、足利義満の将軍職就任(1367)まで、約40年間の戦乱を書いた、「平家物語」と並ぶ日本の代表的な軍記物である。

  「平家物語」が仏教の無常観を中心に戦いの中にも風雅に富んだ世界を描いているのに対し、「太平記」は因果応報の思想を基に秩序と理念なき戦いの顛末を殺伐とした筆致で、時には残酷なまでに描いている。

2011年3月11日に発生したM9.0の巨大地震、東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)の際にもこの2つの古典が注目を浴び、復興へのヒントや生き方の参考としたのです。

これから大きな自然災害が続けて起こるのではないかと心配されます。これを機会に、災害や戦乱の時代に生まれた2つの古典に触れてみることも無駄ではないでしょう。