政治

自国通貨建ての国債を発行できる国は、政府債務をまだまだ増加できる(ただしインフレが高進するまで)という現代貨幣理論(MMT)が日本で連日話題だ。これまでの常識を覆すような理論である。今アメリカで大論争中の「現代貨幣理論又は現代金融理論(MMT)」について考えてみたい。

この理論にアメリカ民主党のオカシオコルテス下院議員が支持を表明したことで、世論を喚起する大きな話題となっている。

これに対しノーベル経済学賞受賞の経済学者クルーグマン、元財務長官のサマーズ、FRBのパウエル議長、著名投資家のバフェットらがこぞって批判。日銀の黒田総裁も否定的なコメントを出している。そうそうたる面々がMMTを批判している。その言葉使いも異様に激しい。クルーグマンは「支離滅裂」、サマーズは「ブードゥー経済学」、ロゴフは「ナンセンス」、フィンクにいたっては「クズ」と一蹴している。
どちらかと云えばエスタブリッシュメント側の人々がこのような批判的立場に立つのは当然といえば当然でもある。

ただし、アベノミクスですでに隠然とMMTを実行している日本では、安倍首相の周辺において消費税をめぐってMMT政策論を積極的に進める動きが現れており、安倍首相もまんざらではない。

これに対して、日銀の黒田総裁の否定的態度を示している。G20後の記者会見の概要を記しその背景を明らかにしたい。

■ MMTの前提条件が異なる日米、 ポイントは「国の借金」の考え方(ダイアモンド・オンライン6月16日)

自国通貨建ての国債を発行できる国は、政府債務をまだまだ増加できる(ただしインフレが高進するまで)という現代貨幣理論(MMT)が日本で連日話題だ。

今やその“発祥の地”である米国よりも日本の大手メディアの方がそれをたびたび取り上げている。この1年間の米一般紙におけるMMTの登場回数は、「ロサンゼルス・タイムズ」はゼロ回、「ニューヨーク・タイムズ」はノーベル経済学賞の受賞者であるポール・クルーグマン氏の連載コラムを除けば記事としてはゼロ回だ。

「政治の街の新聞」である「ワシントン・ポスト」は、来年の大統領選挙を目指す民主党候補者とMMTの関係を解説していた(4月27日付)。民主党は伝統的に社会保障拡大に積極的だ。財源問題から目をそらす上では“打ち出の小づち”的なMMTは魅力的かもしれない。

ところが同記事によると、同党のエリザベス・ウォーレン上院議員は、社会保障政策や大学の授業料無償化の実現には、財源確保として大企業や富裕層への増税が必要だと主張している。また、ベーシックインカムを提唱する起業家のアンドリュー・ヤン氏は広範囲の新消費税導入を提案している。

民主社会主義者を名乗るバーニー・サンダース上院議員ですら、MMTとは距離を取る。所得税の累進率を高めて富裕層へ増税し、大企業の“節税”の抜け道をふさぎ、軍事費の大幅削減を行うことで社会保障拡大を行うという。

■ バニー・サンダース上院議員は何故MMTと距離を置き始めたのだろう?

MMTには金融論的側面と政策的側面が同居している。サンダースは民主党の前副大統領ジョー・バイデン氏とともに民主党予備選の有力候補だ。最近、バイデン氏の勢いが衰えつつあることから、サンダースが次期大統領選の民主党候補として有力視されている。

サンダースは政策論としてのMMT(ニューヨーク州立大のステファニー・ケルトン教授を顧問に迎えていた時期があった)を前面に出していたが、金融的側面では闘えないことがはっきりしてきたのだ。金融論では勝てないことがわかってきたのだ。それでMMTから距離を置き税制改革を前面に出してたたかう方針に変えたのだ。民主社会主義を標榜するサンダース陣営のオカシオ・コルテスはMMTを取り下げてはいないものの、最近では税制に重点を移し最高税率70%を主張している。

日本ではアメリカのこのような変化にまだ気づいていないようで、今でもMMTの金融的側面に拘っている。特に金融的側面と強く結びついた「反緊縮、公共事業拡大」を声高に訴えているのをみると、日本ではMMT論議が一周遅れとなっている感がぬぐいきれない。

それ以前に日本の左翼はMMTの内容も把握せず、ポピュリズムに押し流されている。反緊縮を主張する「薔薇マーク運動」に共産党候補者が6名も名を連らねている現状をみると、開いた口が塞がらない。自民党の西田昌司衆議院議院員議員のMMT論との違いも明らかにすることなく、感情的に押し流されているようにしか見えない。「MTTを否定するものは民主主義の破壊者だ」と云う暴論まで出る始末だ。

日本の左翼の劣化を嘆いてみても始まらない。要するに付和雷同の動きは長続きしないだろう。あなた達のアメリカの先達はあなた達を置き去りにしてどこかへ行ってしまったのだ。

前項のダイヤモンド・オンラインの記事の最後のところが重要なので付記する。「日本の場合、政府債務に対する感覚麻痺が起きやすい状況だ。米国と違って生産年齢(納税を中心的に担う世代の人口)が今後劇的に減少する我が国で、われわれの子供や孫に政府債務を安易に付け回ししていくことは非常に危険と考えられる」。この見解は正に道徳的な視点にたっている。日本の左派が不道徳のそしりを受けることのないよう願ってやまない。

■ 6月20日、日銀・黒田総裁の記者会見

前回の記者会見は4月に行われた。4月の時点では世界経済のリスクに対してはノーコメントであったが、今回はG20後の記者会見でもあり、答えないわけにはいかなかった。世界経済のリスクは高まっていることを認めた上で金利政策は弾力的に行うとし、その方法については「イールドカーブ・コントロール」が主な手段だと答えた。

4月には金利政策の弾力的運用は極めて専門性を必要とし微調整に苦労していることを明かした。今回は、財政法・日銀法で中央銀行の独立性が定められている一方、日銀法には政府との政策協議の義務が明記されているので金利政策は協議で決められると答えた。

協議によって定められた金融政策・金利操作を実行するためには高度な微調整が必要なこと、これを可能たらしめるためのイールドカーブ・コントロールは大変だが、一生懸命頑張るのみだと説明した。この点は前回の会見と変わりない。裏返して考えれば政策の幅はますます狭まっており限界に近づいていることを明かしていることになる。(黒田総裁は意外にも正直な人だとの印象を持った。記者に対する対応も丁寧だった。)

政府の借金はGDPの220%に及び、日銀の国債保有高は6月10現在481兆、ETFを含む金銭信託は27兆、この資産を支える負債としての当座預金が392兆円、資産合計569兆円に占めるリスク資産は89%に及んでいる(日銀営業毎旬報告・令和元年6月12日)。

仮に、物価が2%に上昇するまで国債を発行し続けるとしたら、国債費は現状の10兆円が倍増して20兆円となる。MMT論者はあまりにものんきすぎる。借金には反対給付として同額の資産が生まれカネは自動的にそれ以上に増えると云うが、これには「信用」の裏付けが必要不可欠であることを軽視している。

金融恐慌は、つまり信用崩壊だ、政府や中央銀行の信用が崩壊したらどうなるだろう?金融がグローバルに動いている現代においては国家の国際的信用の低下の結果は、国家はインフレ税で助かるかもしれないが、国民の生活は完全に破壊される。

MMTを盾にして叫ばれている「反緊縮と財政出動=公共事業拡大」は多くの問題点をはらんでいる。

黒田総裁が自戒するように、政府や日銀がカネをつくることは、数々の法律を変えなければできないことが多く、現行法の範囲内で出来ることは限定的で困難を伴うと云っている。

したがって「反緊縮と財政出動=公共事業拡大」はいつ誰がやるのかを明示せず、ただ叫ぶだけなら権力者に利用されるだけになる。

自民党の西田昌司議員とそのグループが唱えるMMTと、左派の主張するMMTはどこが違うのかはっきりさせるべきなのだ。もし同じなら政権交代して関係する法律を変えられる力を持ってから云うべきで、そうでなければ単なるポピュリズムに過ぎない。現実的な政権交代の具体的構想も示さず「こうありたい」だけを叫ぶ左派勢力は権力側にとっては痛くも痒くもない筈だ。

自称専門家が、政府のBSと日銀のBSを連結して(決して連結したとは云わない)日銀の負債の部にある当座預金を負債の印象を消すためあえて借り方貸し方と云う表現に置き換えた表を見せる。見せるだけでその意味を詳しく説明することはない。この印象操作に簡単に乗ってしまう左翼の無能ぶりにはあきれて物が言えない。先生と言ってせいぜいもちあげていれば良い。

7月16日、ニューヨーク州立大のステファニー・ケルトン教授が来日してMMT講演会が行われる。この講演会について、与党の一部と野党の一部が同様にPRしているところを見ると、呉越同舟となるに違いない。結果は、ますますMMTが分かり難くなるだけだろう。

■ 「対米自立」は国民の生活を守る防波堤になるか?

「対米自立」と云う一見、現実離れしたプロパガンダに聞こえるかもしれないが、そうは言っておられない切実な問題になっているのだ。

「美国が美しい国日本を破壊する」と云う皮肉めいた発言がYoutubeからとびだしてきた。国有林が売られ、海が売られ、農業や畜産が売られ、水が売られ、健康が売られる実態を具体的に説明し、国民の生活が徹底的に破壊されつつあることを警告している。MMT論議よりこちらの方がはるかに重要ではないか?

政治

1993年に発表されたサミエル・P・ハンチントンの「文明の衝突」が今、注目をされています。
何故だろうと疑問を持って、本棚の中から古く変色した表紙を探し出し(20年前の夏に傍線を引いた部分を)拾い読みして、記憶が若干よみがえったところです。

今から26年前のハンチントンの予測が本当に当たっているのか疑問を持ちながら、探ってみた結果、その慧眼に驚きを覚えたのです。
当然当たっているところとそうでない部分はあることは承知の上で、この論文が現代への示唆となる部分だけを拾い上げてご紹介いたします。

偶然、白井聡氏の「永続敗戦論」を読み始めたところなので、それとの関連性も述べてみたいと思います。

ハンチントンの論文にはは次のように表現されています。

日本の哲学者梅原猛が示唆するには「マルクス主義が全く失敗に終わったこと—そしてソ連が劇的な解体を遂げたことは、近代性の主流だった西欧リベラリズムが崩壊する前兆に過ぎない。マルクス主義に関わる選択肢となり、歴史のにおける支配的なイデオロギーになるどころか、リベラリズムは次に倒れるドミノになるだろう」と云う。

世界中の国の人々が自分たちの特性を文化によって規定している時代にあっって文化的な核を持たず政治的心情だけで規定された社会に安住できる場所があるだろうか? 政治的原則は、永続的な社会を築く基礎としては不安定である。

文化が重要な意味を持つ文明世界にあって、アメリカはイデオロギーが意味を持っていた消えゆく西欧の異常な残存物に過ぎなくなるかもしれない。政治的心情と西欧文明を拒否することは、われわれが知っていたアメリカ合衆国の終焉を意味する。(以上原文のまま引用)

■ 更に、世界は東洋文明と西欧文明の衝突が起こり、東洋の覇権は中国に移り、世界の覇権国だったアメリカとの戦いが避けられないと予測しています。しかもその戦いは東洋文明を代表する中国の勝利に終わるだろうと予測しているのです。

加えて云えば、意外なことに日本は中国側に加担せざるを得ない立場だろうとも記しています。つまりは、アメリカの政治イデオロギーが世界覇権の座から転落すると予測しているのです。

「文明の衝突」の将来予測はこれだけではありません。イスラム圏との深刻な対立、先進国への移民が争点となり国内の分裂を招くこと、世界の多極化・覇権の変動など具体的に現在の状況を言い当てています。

■ 今年5月末、欧米の超エリートたちが集まって、ビルダーバーグ会議がモントリオールで開催されました。この会議は秘密会議であっったため報道されることはなかったのですが、米ポンペイオ国務長官の宣言があまりにも戦闘的であったため、不満を持った出席者からその発言が漏れてきたのです。

ポンペイオ国務長官は次のように発言したのです。「米政府は、対中100年戦争を決定たことを宣言し同盟国とともに戦う」という内容でした。
もちろん貿易戦争を前提とした冷戦にとどまることが期待されますが、「戦い」の内容については伝えられていません。昨年10月にはペンス副大統領が同様の発言をし、報道機関は単なる脅しではないかと受け流していたのですが、いよいよ本気で長期戦を覚悟したのでしょう。しかし、100年はオーバーでせいぜい5年~10年のことではないかと観測されています。(田中宇の国際ニュース解説より)

■ 一方白井聡氏の「永久敗戦論」では次のように解説されております。第2次世界大戦で日本は負けているのに負けた事実を認めたくないので、日本人はそのことを曖昧にする。これが結果として永久的に負け続けていることになるのです。更に、米ソ冷戦時代には日本が対ソ防衛ラインとして重要な位置を占めることになったので日本はアメリカから特に優遇されました。つまりお世話になったのです。感謝が愛になり対米従属が当然だという雰囲気が作り出されたのです。

問題は冷戦が終わってもこの傾向が変えられなかったことです。日米関係に変化がなければこの傾向は変わりませんが、トランプ大統領が貿易戦争を同盟国にまで拡大し日本の国益を損なう事態が現れると、日本政府は今までになかった窮地に直面しました。

■ 特に米中貿易戦争のあおりを受け、自国の貿易に損失が生じた場合対米従属を捨てざるを得ない状況に追い込まれます。ハンチントンはこの状況を見事に言い当て、日本は対米従属から離れて、中国圏あるいは東洋文化圏に逃げ込むと予測しているのです。

今、日本は貿易高がアメリカを抜き中国が第一の貿易相手国となっていることから、日本政府は財界からは対中貿易が犠牲にならないよう強く要望を受け、他方アメリカとの関係・対米従属をやめるかどうか選択を迫られ、板挟みの状況となっているのです。

■ サミエル・ハンチントンの「文明の衝突」は、経済的理由ばかりでなく、明白に文明の同一性からも日本は中国圏にいかざるを得ないことを示唆しております。ハンチントンがもし現在の米中関係を知ったなら、更にこの示唆が強くなり断言に至るだろうと云うのがこの本を読んだ感想です。26年前にハンチントンがこんな予測をしたことは、決して占星術的予測ではなく、文明の衝突が世界の覇権を変えるという科学的な分析が背景にあったからです。

日本人には中国嫌いの風潮が根付いていることは承知しておりますが、ハンチントンの時代には中国に対して好きも嫌いもなかったのです。当時は中国が世界の脅威になるほど強力でなかったからです。世界の覇権が激動する現在においては、判断基準を「文明の衝突」に移す必要性を強く感じます。

そのうえで現在の状況を見れば、国の衰退を防ぐためにも、「対米従属が唯一のレゾンデートルではなくなってきていること」を自覚しなければなりません。