社会

2018年11月に私の投稿でシンギュラリティについて次のように書きました。

シンギュラリティ(技術的特異点)とは、人工知能が発達し、人間の知性を超えることによって、人間の生活に大きな変化が起こるという概念を指します。シンギュラリティという概念は、人工知能の権威であるレイ・カーツワイル博士により提唱された「未来予測の概念」でもあります。

シンギュラリティの概念は巾が広く現実離れした単なる空想でしかないものと比較的現実的な実現可能な範囲の予測などが混在します。レイ・カーツワイル博士は比較的実現性を重視した未来予測を説いています。ただターゲットを2045年としている点で空想的と見られる傾向があるのです。

この投稿に関してシンギュラリティが果たして空想なのかどうか調べ始めました。
その結果人工知能(AI )について2つの方向から考えてみました。その一つはニューロコンピュータの現状です。2つ目は人工知能のOS化についてです。

■ ニューロコンピュータの現状
非ノイマン型コンピュータ=ニューロコンピューターは2014年に発表されたIBM SyNAPSEで現実化しました。このチップは100万個の人工ニューロと2億5千6百万の人工シナプスから構成され一個一個の素子が多数のシナプスで連携しているので、並行処理が可能となった。このチップを使えば膨大な情報量の画像や音声を素早く、低電圧で認識・認知できる。将来的には人間の脳の活動の一部を置き換えることが出来るでしょう。

ニューロチップは、AI・IoT・ディープラーニングなどの要とも言われています。人の脳を手本とした機械(AIやIoT製品など)が普及すれば、より安全な生活を送ることが出来ます。特に、「自動運転」や「災害対策用ロボット」に用いられれば、人と同じように、もしくはそれ以上の処理スピードで解決や対策方法を導き出してくれるからです。アニメや映画で見たSFのような世界が、一歩現実へと近づいてきます。
ちなみにですが、2020年頃には技術の進化により、現在の仕事から約30種類もの仕事がなくなるのではないかと言われています。

■ 人工知能のOS化はいつ実現するか
まず、AI の要素技術はといえばビッグデーターとディープラーニングの研究であり、さまざまなビッグデータの特性に合わせて特徴量をうまく生成させるようにする研究が人工知能の中心となっているのです。

このようなAIは、自動運転、画像認識、音声認識、信用スコア、医療、軍事などの幅広い分野で実用化がどんどん進んでおります。

AIの開発競争の状況を見ますと、アメリカのAAAI(人工知能学会)では5000人のメンバーが研究を進めている一方、日本のJSAI (人工知能学会)には3000人の研究者が所属しております。

これだけ見ればアメリカに決して劣らないと見えますが、残念ながら日本はモノ作り優先の思想が強いこと、グローバルなトレンドを作るのが不得手であることなどで、このままでは開発競争から遅れていくのが目に見えております。

人工知能開発で今最も注目される分野といえば、表題の人工知能のOS化であることは間違いありません。
汎用的なOS(Widows)をマイクロソフトが作り、デバイスをIBMが担当したことでコンピュータが飛躍的に発展したことを考えると、人工知能のOS化が如何に重要な課題かが分かるはずです。

特徴表現学習などの学習アルゴリズムが基礎になる汎用的OS化が進めばいろいろなアプリケーションがこれに乗り、機能追加が飛躍的に広がることは明らかです。
さらにこのOSを独占した企業があれば、その発展性はマイクロソフトの比ではないでしょう。

ロボットならその動作から中身を推測することができます。しかし学習結果から学習アルゴリズムを推定することはほぼ不可能です。ちょうど人間の脳をいくら調べても、知能のアルゴリズムがわからないのと同じなのです。

汎用的なOSをおさえておくと、土台ができていれば、アプリケーションの開発・修正・更新が圧倒的なスピードで実現できます。
例えば、自動運転にしても道路交通法が変わったり異常気象で道路条件が変わっても、個別の条件に沿ってルールを書き換えるよりも、すでに学習された特徴表現を使って学習したほうが圧倒的に早いはずです。

汎用的なOS部分を独占すれば各機能を実現するアプリケーションの製造コストが劇的に下がるのです。

■ 人工知能の限界
前項の希望的観測にもかかわらず、人工知能については、脳科学を勉強してきた私にとって限界を感じざるを得ません。以前にも説明しましたが、人体は40億年の生命の歴史のなかで語り継がれた複雑極まりない存在です。脳細胞が1千数百億個存在し多様で複雑な伝達様式を持っていることをみれば、「シンギュラリティ=人工知能を万能」と考えるわけにはいかないと思います。

前項で述べた「ちょうど人間の脳をいくら調べても、知能のアルゴリズムがわからないのと同じなのです」と云う件がそれを物語っております。

重要なことは、言語が表象であることです。言語は多様な意味を持ちます、その意味は人間相互間のコミュニケーションの中で、その場その場で固定されるものです。オープンダイヤローグとAIの結合などあってもおかしくないでしょう。

■ 林修先生が絶賛した本「AI vs.教科書が読めない子どもたち」
著者は国立情報学研究所 ・AI研究者の新井紀子教授、たまたまこのホームページ「八景島ツイート」を同研究所で開発したCMS・Netcommonsで作っていたので、新井紀子教授の講演を何度か聞いたことがあります。学校の先生がこのアプリを使っていた関係で先生が多く講演を聞いていたのを覚えています。ある学校の先生の話に感動されて、教授が涙した場面に遭遇したことが思い出されます。AI研究者には珍しい人間性にあふれた方だと感じました。

本の内容は長くなるのでまたの機会に譲りますが、次のような読者感想文を引用させていただきます。

この本ではAIが将来可能になることを予測し、それによって起こりうる問題を提起している。
意外だったのはAIには読解能力がないということ。つまり人の気持ちが分からないため、特定の分野においては大きな成果を上げるが、そうでない分野には入り込めないことが予測される。
しかし教科書すら読めない人が増えているため、人間の業務がAIに取って代わられると危惧している。
これは子供だけでなく、大人もであろう。
AIの進歩で悲観的になることも楽観的になることもなく、どうすればAIに取って代わられないかを考えるべきと感じた。

反面、読解力という知能のベース部分は疎かにされた結果が、本書で書かれている中高生の深刻な状況に繋がっていると思われます。
(読解力は今のところ数学で記述できず、計算機であるAIが獲得できない人間固有の能力だと書かれています。)
そして、私も、読解力がないままひたすら暗記する学習法を続けた結果、「応用が効かない」「問題文が理解できない」状況に陥っていることに気づきました。愕然としました。

本書は、AI技術に関するよくある誤解を取り上げ、現時点におけるAI技術そのものの限界についてを解説する一方、AIが将来人間の仕事の大部分を代替し、結果社会は、失業者や最低賃金で働く人々が増えていくという可能性を指摘したものである。著者は、数理論理学を専門とする研究者だ。
ホワイトカラーが担っている仕事の多くで、AIが人間の強力なライバルになっていくであろうことは、多くの識者から指摘されている。これに対し著者は、数学者の立場から、AIが人間の仕事のすべてを肩代わりすることは当面起きないとまずは指摘する。なぜなら、AIとは単なるソフトウェア、つまり計算機であり、データに基づいて確率計算をしているだけであって、人間の会話や記述の「内容の意味」を理解していないからだ。人間の脳が認識していること全てを数学の数式に置き換えることなどは不可能なのだから、シンギュラリティなど到来しないし、ましてやAIが人間の仕事の全てを引き受けたり、自らが意思を持ったり、自己生存のために人類を攻撃することなどは起こり得ないと著者は断言する。意味を理解できない、計算しかできないAIは人間とは異なり、柔軟性や発想力、応用能力などを持っていないのだ。

まず初めにAI、を正しく理解しよう。と始まり、次にAIの得手、不得手を知ろう。そして、人間である私たちの側がAIと共存できるために何が欠けているのかを子どもの学力を覗いてみることで気づきを得よう、と進みます。
すると、現在の教育方法はAIが得意とする領域の能力と同じ方向の能力を拡張させていることが見えてくる。
AIの得意領域ではAIには歯が立たないのに。
今後はその能力(スピード、記憶量、正確性)をおそらく人間は手放してAIに譲らなくてはならざらなくなる。
だからその方向ではなく、AIの不得手な認知→思考→想像、創造力を身につけて行かなくてはいけないし、それらの能力を築くための基礎的能力になる読解力が必要になる。

時事

年号が変わる新年にあたり、ぜひお伝えしたい情報を入手しましたので、お約束の「人工知能は社会をどう変えるか」は次回にゆずりたいと思います。今回は表題のテーマを中心に小山泰生氏の著作のご紹介をいたします。

まず、私の先輩・杉原泰雄氏(学習院大学政経学部卒業後、一橋大大学院法学研究科博士課程修了、現在一橋大学名誉教授)からお聞きした次の話から始めましょう。
「自民党の改憲案のなかに、天皇の政治的言動を封じながら天皇を元首とする条項が存在し、学習院のご学友や関係者の間で、これは天皇の政治利用ではないかと云う危惧が拡がっている」

この話を耳にしたとき、私は先の大戦で日本の軍部が行ったことと似ているのではないかと心配を持ったのでした。その後、この疑問に答える如く、タイミングよく、小山泰生氏の標題画像の著作「新天皇と日本人 友が見た素顔、論じ合った日本論」が発刊されたのです。すぐに入手して300ページに及ぶ、かなり読み応えのあるこの本を一日で読了しました。

皆さんにも、ぜひ読まれることをお勧めするわけですが、関心を持っていただくため抜粋して下記致します。

小山泰生氏の生家は、代官山の1000坪の土地と300坪の邸宅でした。当時、戦災で家を焼かれた北白川房子さまがしばらくこの屋敷の一部に身を寄せておられたのです。そんなご縁で小山氏は学習院幼稚園に入園され皇太子殿下の友となられ、成人後も50年間親しくされたと書かれています。幼児期にはお互いに何の遠慮もなく、このつながりが続いたことが深い議論ができる関係に発展したのです。

小山氏の著作から得た印象は、非常に素直で控えめでありながら論理的に深く議論を進めるかただと云うことでした。だから多少過激な発言もありながらすんなりと受け取れるのでした。同氏の落ち着いた語り口は心休まる思いで聞けました。

前置きはこれくらいにして抜粋を記しましょう。

◆ 新天皇は普通の人だ。天皇の発言が極度に制限されている現状は、正に人権蹂躙と云っても過言でない。(小山氏)

したがって新天皇が「普通の人だ」と云うのは「普通の人だったら当然人権を認めるべきだ」と云うことと不可分になっている。(これは私の解釈)

◆ 美智子皇后の幼児教育(ナルちゃん憲法)は、将来の天皇にふさわしい折り目正しさと「普通の人間」と云う幅広さや謙虚さをうまく併せ持つ教育だった。さらに昭和天皇からは大変かわいがられ、昭和天皇の戦時中の経験、意図に反し周りに引き回されたことの後悔などもお聞きになっていた。さらに外交官出身の雅子妃殿下からは国際感覚を学ばれた。これがイギリス王室はじめ外国との交流にとても役立った。

◆ なんと云っても、イギリス留学は皇太子殿下にとって今の考えを形つくるのに大きく影響している。女王陛下から学んだことは王室はいざと言う時民主主義を守る砦となるのだと云うことです。ドイツはワイマール憲法下、王室の存在がなかったため歯止めが効かずヒットラーのような暴政を許してしまった。日本の皇室もいざと言う時民主主義を守る砦となるべきだ。こんなことを学ばれたと云う。貴重な経験でした。

◆ 皇太子殿下は正しい歴史認識を持っておられる。学習院大学では史学科を専攻されたことを見ても歴史に関心をお持ちであることが分かる。三笠宮の事例もあり一部の右傾政治家の間で、皇室の人には歴史に関心を持たれたら困ると云う意見もあった。
小山氏は歴史認識について皇太子殿下と深い議論を交わしていたようだ。小山氏は次のように述べている。「万世一系の天皇は虚構だ」と明快に指摘しながら、少なくとも1000年に及ぶ皇室の歴史は世界に例を見ない、日本の宝だ。さらに国民の統合のためなら「神話があってもなんら支障ない」これは歴史の事実とは別ものだ。

(この歴史認識はある面では正しくある面では誤解を呼ぶと私は思う。私が疑問を持ったのはこの部分だけだ。ただし、これにこだわることは避けたい。)

以上で抜粋は終わります。ここで最も重要だと私が理解した天皇の役割について小山氏の見解をご紹介します。

「今の憲法でも天皇は十分に国政にかかわれる」

「いまの憲法は、アメリカが押し付けたもので日本国民の意思が十分に反映されていないと改正論者は云うが、そんなことはない。じつは、憲法を創っていく過程で、何度も何度も昭和天皇のご覧を仰ぎながら意見の交換をし、帝国議会がそれを承認し、貴族院・衆議院が可決して出来上がった憲法です」

「昭和天皇が関与している証拠として第10章第99条がある。”天皇または摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負う” この条項は天皇の義務を規定している以上天皇の了解なくして議会が承認できるはずがない」

「憲法99条の天皇の憲法擁護義務こそがまさに政治的行為で、さらに国政に関与しないとされているにもかかわらず、第3条には天皇が行う国事行為の規定がある。”内閣総理大臣を任命すること、最高裁判所長官を任命すること、憲法改正、法律、政令、及び条約を公布すること(6条・7条)” などがあげられている。これらは形式的なものと云うが、例えば、あがってきた法律に憲法上の瑕疵があれば99条の憲法擁護義務によって、法理論上も署名と公布を拒否することができる。サインを促されるたびに保留してしまえば、いつまでたっても公布されないのです」

以上が小山氏の見解でこのことは皇太子殿下とも議論しているものと思われます。
しかし、以上は「伝家の宝刀」であり、やたらに抜けるものではない。要は、国民が天皇にそのようなご負担をかけないような努力をするべきであり、また、政権運営にあたるものは無理強いを慎むべきだ。もしゴリ押しすれば、大不敬に当たることを肝に銘じていただきたい。

小山氏は多分「天皇は普通の人間だ。著しい人権無視には、いざとなれば抵抗権があるのだ」と云いたいのだろうと思う。国民の立場としては、折角隠れた天皇の権限を明らかにしてくれたのだから、どうかこれが民主主義の最後の砦となるよう、ヒットラーが現れないよう、更に国を戦争の方向にもっていかれないよう、チェック機能として運用されることを希望します。

今のような歯止めなき暴政にブレーキをかける手段としてこの情報が拡散されることが必要です。そして少しでも多くの方にこの著作を読んでいただくよう強く望みます。なお、この本には報道されていない皇室に関する多くのエピソードが記載されていることを付記します。