時事

年号が変わる新年にあたり、ぜひお伝えしたい情報を入手しましたので、お約束の「人工知能は社会をどう変えるか」は次回にゆずりたいと思います。今回は表題のテーマを中心に小山泰生氏の著作のご紹介をいたします。

まず、私の先輩・杉原泰雄氏(学習院大学政経学部卒業後、一橋大大学院法学研究科博士課程修了、現在一橋大学名誉教授)からお聞きした次の話から始めましょう。
「自民党の改憲案のなかに、天皇の政治的言動を封じながら天皇を元首とする条項が存在し、学習院のご学友や関係者の間で、これは天皇の政治利用ではないかと云う危惧が拡がっている」

この話を耳にしたとき、私は先の大戦で日本の軍部が行ったことと似ているのではないかと心配を持ったのでした。その後、この疑問に答える如く、タイミングよく、小山泰生氏の標題画像の著作「新天皇と日本人 友が見た素顔、論じ合った日本論」が発刊されたのです。すぐに入手して300ページに及ぶ、かなり読み応えのあるこの本を一日で読了しました。

皆さんにも、ぜひ読まれることをお勧めするわけですが、関心を持っていただくため抜粋して下記致します。

小山泰生氏の生家は、代官山の1000坪の土地と300坪の邸宅でした。当時、戦災で家を焼かれた北白川房子さまがしばらくこの屋敷の一部に身を寄せておられたのです。そんなご縁で小山氏は学習院幼稚園に入園され皇太子殿下の友となられ、成人後も50年間親しくされたと書かれています。幼児期にはお互いに何の遠慮もなく、このつながりが続いたことが深い議論ができる関係に発展したのです。

小山氏の著作から得た印象は、非常に素直で控えめでありながら論理的に深く議論を進めるかただと云うことでした。だから多少過激な発言もありながらすんなりと受け取れるのでした。同氏の落ち着いた語り口は心休まる思いで聞けました。

前置きはこれくらいにして抜粋を記しましょう。

◆ 新天皇は普通の人だ。天皇の発言が極度に制限されている現状は、正に人権蹂躙と云っても過言でない。(小山氏)

したがって新天皇が「普通の人だ」と云うのは「普通の人だったら当然人権を認めるべきだ」と云うことと不可分になっている。(これは私の解釈)

◆ 美智子皇后の幼児教育(ナルちゃん憲法)は、将来の天皇にふさわしい折り目正しさと「普通の人間」と云う幅広さや謙虚さをうまく併せ持つ教育だった。さらに昭和天皇からは大変かわいがられ、昭和天皇の戦時中の経験、意図に反し周りに引き回されたことの後悔などもお聞きになっていた。さらに外交官出身の雅子妃殿下からは国際感覚を学ばれた。これがイギリス王室はじめ外国との交流にとても役立った。

◆ なんと云っても、イギリス留学は皇太子殿下にとって今の考えを形つくるのに大きく影響している。女王陛下から学んだことは王室はいざと言う時民主主義を守る砦となるのだと云うことです。ドイツはワイマール憲法下、王室の存在がなかったため歯止めが効かずヒットラーのような暴政を許してしまった。日本の皇室もいざと言う時民主主義を守る砦となるべきだ。こんなことを学ばれたと云う。貴重な経験でした。

◆ 皇太子殿下は正しい歴史認識を持っておられる。学習院大学では史学科を専攻されたことを見ても歴史に関心をお持ちであることが分かる。三笠宮の事例もあり一部の右傾政治家の間で、皇室の人には歴史に関心を持たれたら困ると云う意見もあった。
小山氏は歴史認識について皇太子殿下と深い議論を交わしていたようだ。小山氏は次のように述べている。「万世一系の天皇は虚構だ」と明快に指摘しながら、少なくとも1000年に及ぶ皇室の歴史は世界に例を見ない、日本の宝だ。さらに国民の統合のためなら「神話があってもなんら支障ない」これは歴史の事実とは別ものだ。

(この歴史認識はある面では正しくある面では誤解を呼ぶと私は思う。私が疑問を持ったのはこの部分だけだ。ただし、これにこだわることは避けたい。)

以上で抜粋は終わります。ここで最も重要だと私が理解した天皇の役割について小山氏の見解をご紹介します。

「今の憲法でも天皇は十分に国政にかかわれる」

「いまの憲法は、アメリカが押し付けたもので日本国民の意思が十分に反映されていないと改正論者は云うが、そんなことはない。じつは、憲法を創っていく過程で、何度も何度も昭和天皇のご覧を仰ぎながら意見の交換をし、帝国議会がそれを承認し、貴族院・衆議院が可決して出来上がった憲法です」

「昭和天皇が関与している証拠として第10章第99条がある。”天皇または摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負う” この条項は天皇の義務を規定している以上天皇の了解なくして議会が承認できるはずがない」

「憲法99条の天皇の憲法擁護義務こそがまさに政治的行為で、さらに国政に関与しないとされているにもかかわらず、第3条には天皇が行う国事行為の規定がある。”内閣総理大臣を任命すること、最高裁判所長官を任命すること、憲法改正、法律、政令、及び条約を公布すること(6条・7条)” などがあげられている。これらは形式的なものと云うが、例えば、あがってきた法律に憲法上の瑕疵があれば99条の憲法擁護義務によって、法理論上も署名と公布を拒否することができる。サインを促されるたびに保留してしまえば、いつまでたっても公布されないのです」

以上が小山氏の見解でこのことは皇太子殿下とも議論しているものと思われます。
しかし、以上は「伝家の宝刀」であり、やたらに抜けるものではない。要は、国民が天皇にそのようなご負担をかけないような努力をするべきであり、また、政権運営にあたるものは無理強いを慎むべきだ。もしゴリ押しすれば、大不敬に当たることを肝に銘じていただきたい。

小山氏は多分「天皇は普通の人間だ。著しい人権無視には、いざとなれば抵抗権があるのだ」と云いたいのだろうと思う。国民の立場としては、折角隠れた天皇の権限を明らかにしてくれたのだから、どうかこれが民主主義の最後の砦となるよう、ヒットラーが現れないよう、更に国を戦争の方向にもっていかれないよう、チェック機能として運用されることを希望します。

今のような歯止めなき暴政にブレーキをかける手段としてこの情報が拡散されることが必要です。そして少しでも多くの方にこの著作を読んでいただくよう強く望みます。なお、この本には報道されていない皇室に関する多くのエピソードが記載されていることを付記します。

ツイート

年の瀬にあたり、激動する社会の変化に備え、私自身がこれからどう生きるべきかを真剣に考えてみました。参考になるかどうかは分からないが、「余命少ない老人の覚書」として、うけとっていただければ幸いです。
先ず、このサイトで何度も紹介した「ある投資家の警告」を再度記します。本テーマのヒントとなると考えたからです。
—————-

まだインターネットが使えない人がいる。主に高齢者や貧困層が時代に取り残された。彼らは「自分には無縁だ」「分からないから使いたくない」という意識が強いので、いつでもインターネットを使える環境を整えられたとしてもそれをしない。

その結果、完全に時代に取り残されて不利益の中で生きている。今 まさに、時代に取り残されようとしている人たちもちろん、インターネットができなくても、現代社会で生きていこうと思えば生きていける。現に、高齢者の中には「一度もインターネットなるものを使ったことがない」という人も多い。自分たちの子供や孫がそれを使って楽しんでいるのを横目で見ながら、あるいは街で若年層がスマートフォンで何かしているのを見ながら、自分たちは絶対にしない。

それで生きていけないのかと言われれば、そんなことはない。生きていける。しかし、この時代にインターネットを使わないで生きるというのは、あまりにも非効率で前時代的で危険な生き方だ

インターネットをしている人間は彼らの非効率さが分かるのだが、インターネットをしない人間は自分の非効率さが正確に分からない。時代に遅れているのは薄々勘づいているのだが、どれだけ遅れているのかというのは分かっていない。インターネットを知らないのだから分からなくて当然だ。

これから来る金融分野のイノベーションは、それと同じインパクトがある。紙のお金だけしか使わない人は、どんどん世の中から遅れていき、自分がどれだけ前時代的で危険な生き方をしているのか知らないまま取り残されていく。
————————-

来年は激動の始まりの年です。私が生まれた1930年代の昭和大恐慌と酷似した経済状況が迫っててきています。前の投稿でその実態を報告したつもりですが、日本の中央銀行の債務超過=デフォルトが我が国にとって如何に危険な事態か分かっていただきたいのです。

日銀が独立性をかなぐり捨て政府と一体になって進めた超金融緩和は、戦時経済と同様な金融の膨張を招き、国民に大きなツケを残しました。ここで戦時経済の歴史をたどってみましょう。

第二次大戦は、膨らみ続けた戦時経済そしてその破綻、後始末には国民に筆舌に尽くしがたい艱難辛苦と痛みをもたらしたのです。

(以下日本総合研究所調査部主任研究員 河村小百合氏のレポートより)
第二次世界大戦当時の1944年度末において国の債務残高は国内所得の260%を超える水準であった。昭和21年10月19日には、「戦時補償特別措置法」が公布され、いわば政府に対する債権者である国民に対して、国側が負っている債務金額と同額の「戦時補償特別措置税」が賦課された。戦時補償債務については、これを切り捨てる決断を下し、国民に対して政府の負っている債務と同額での「戦時補償特別税」の課税も断行した。そして、これらの課税に先立ち、順番としては一番先に、預金封鎖および新円切り替えが行われている。

歴史から学ぶべきことは「悪い情報には目をつぶる習性」を捨て現実を直視することが必要です。ここで話をガラリと変えて、危機情報をいかに獲得するか、動物の生態を参照してみましょう。

体長70㎝ほど、翼開長130㎝もある大型のサギの仲間、サンカノゴイ。個体数は決して多くはなく、環境庁の絶滅危惧種のカテゴリーでは、絶滅危惧IB類(EN)に指定されています。サンカノゴイは危険を感じると、長く首を垂直に立て周囲の枯れた葭などに同化するかのように直立不動の姿勢で、身を守るといわれています。

タイトルの写真は伸び始めた若い稲の中から、周囲を窺うために頸を持ち上げたところで、非常に用心深いため日中その全身を観察することは容易ではありません。

鳥類でさえ自分や子孫を守るため懸命に外界の様子をサーチし、情報を集めているのです。小鳥が巣から頭を出しあちこち見回している姿を見た覚えがあるでしょう。雛を守るため。その姿は真剣そのもの、生きるために自然に備わった本能のようなものです。ぬるま湯につかった、茹でガエルのような人間は、この自然界の本能を失ってしまったのかもしれません。

それではどの様に情報を集めたら良いのかを検討してみましょう。そこで注目されるのが、情報収集能力です。ただ闇雲に大量の情報を集めるだけなら誰にでもできる環境が整っているのですが、重要なのはこの洪水のようにあふれている情報の中からいかに自分に必要な情報を探し出して収集することができるかという部分です。

自分の糧となる情報収集のために必要なことをまとめてみると、以下のようになりました。

自分の意見を持ち、それをベースに情報に接する
特定の情報源に偏らず、幅広い視野を持つ
さまざまな情報から共通点を見出し最大公約数を導き出す
全体像を常に意識して「木を見て森を見ず」に陥るのを防ぐ

言い換えれば、白か黒かでなく、このサイトのテーマともなっている「多様性を認めること」が、役に立つ情報の収集の必須条件なのです。

私は情報収集のカギは検索技術にあると思っています。それは and or not のようなテクニカルな問題ではないのです。結論を言えば、「検索キーワード」を如何に適正化するかです。如何に適正な「検索キーワード」を見つけ、それで効果的な検索をするかです。

検索は試行錯誤を重ね、キーワードを最適化するプロセスが重要です。人と人とのコミュニケーションから得られる情報は、質の高さが大きな魅力です。より質の高い情報を得るためには自分から人脈や人間関係を作っていく必要がありますが、それゆえに得られる情報の価値は高く、失いたくない情報チャンネルです。

「知って、行って、見て、会って」と動き出す勇気を持つことです。行動こそ激動の時代を生き抜く秘策ではないでしょうか。

鳥のように危機感を持とう。そして外界に関心を持とう。徹底的に検索し情報を集めよう。そして身を守ろう。くれぐれもゆでガエルにならないよう!

新年は「人工知能がどの様に社会を変えるか」について勉強した結果をご報告します。