時事

「年号が変わる新年にあたり、新天皇像を今こそ知りたい」と云う記事を今年の初めに投稿しました。
https://nc5.info/2019/01/01/post-403/

今回は、いよいよ新しい年号の始めにあたり、このテーマを少し掘り下げて記事にしたいと思いました。あとで上記の、新年の記事も再度御覧頂いて参考にしてください。

「新天皇と日本人」の著者・小山泰生氏は、新天皇の幼少期からのご学友で、今でも幅広く浩宮徳仁親王と語り合う仲でした。この本は新元号を生きる日本人のとって必読の書だと云っても過言ではないのですが、この投稿が、最低限その必要性を感じていただけるための材料となればと願っております。

■ 新天皇が目指す天皇の役割
平成の天皇があの「生前退位」のメッセージを述べられたとき、憲法違反ではないかと云う学者が多く居たのです。しかし、天皇は国民を味方にすることで、こうした批判を切り抜けたのです。合わせて、皇室典範も、一般の法律であって、世論と国会の意思によっては、容易に変更することができるということも証明してご覧になったわけです。私は、この一連のことを見ていて、代議制民主主義の欠陥を補う機能が天皇にはあり、民主主義を補完する意味で、そのときの世論によっては国政に関与してもいいのではないかと思いました。

■ 単なる希望でなくその裏付けを真剣に議論された
日本憲法第四条「天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行い、国政に関する権能を有しない。天皇は法律の定めるところにより、その行為を委任することができる」
一般的には、この条文一つで、天皇は国政に関与することができないと信じ込まれています。
しかし、例えば、あがってきた法律に憲法上の瑕疵の疑いがある場合は、第九十九条の天皇の憲法擁護義務によって、法理論上も法律の署名と交付を拒否することができるのです。すなはち、天皇がその法律に反対して、サインを促されるたびに保留してしまえば、いつまで経っても公布されないのです。

■ お二人で議論されたこのような問題は、当時の皇太子殿下が歴史学を学ぶことに反対する声を抑えて学習院大学の史学科に進まれたこと、さらに本当の意味での、歴史の目を開かれたのは、オックスフォード大学に留学なさって世界的な視座を獲得されたことが深く関わっているのです。
英国の王室の役割が、正に、政治が極端な方向に偏った場合、バランスを取り戻す方向に働きかけることにあり、国民もその存在意義を十分理解していることを学習されています。

とりわけ、平成16年、訪欧を前にした記者会見で「雅子のキャリアや、そのことに基づいた雅子の人格を否定するような動きがあったことも事実です」と述べられたときは、宮内庁との対立を伺わせ、国民は、大きな驚きを持ってそのお言葉を聞いたのでした。
しかし、小山氏は心配しませんでした。雅子殿下にとって、この25年は、皇太子殿下の周りのことに関心を持って、様々な情報を頭の中にどんどん取り入れていらした日々だったことを知っていたからです。
皇太子殿下は将来、国際感覚を持たれた美智子妃が必ず貢献してくれるだろうと確信されていたのです。

■ この本を読むまで新天皇が、ここまで真剣に、万が一の事態に対処される覚悟を持っておられるとは全く予想もできなかったのです。お二人の議論に出てくる「代議制民主主義の欠陥を補う機能が天皇にはあり」というようなご認識に甘えるようなことが議会や国民にあってはならないと言うことを肝に命じて置かなくてはならないのではないでしょうか。

■ 小山氏は締めくくりの言葉として次のように述べておられます。
「既に述べたように、現在の日本国憲法においても、天皇という存在は、機能として民主主義を補完する能力をもっていることが、「陛下のビデオメッセージ」とその後の政府と国会の対応で顕在化しました。
その裏返しで、天皇は基本的人権を持たないことで、ご自身を公平中立な立場に置き、パワーバランスを良い状態に保たれているのです。私もそのように考えるのですが、しかし戦後このかた、国民はそのことに甘んじ、それ以上触れないよう、なるべく静かにしておきましょうと、人権がない状態を放置してきました。

ですから、国民が、日本国憲法に明記されている、天皇の国事行為をよく知った上で、それを吟味し、これを残すのか残さないのかをまず決めなければいけないのではないでしょうか。そして、残すべきだと云う結論に達したのであれば、もう少し、天皇や皇族の人権をもっていただいていいのではないかと、私は思っております。」

■ 更に続きます「皇太子殿下(新天皇)と雅子妃殿下(新皇后)は、過去の「人格否定発言」に明らかなように、ご自身の考えをしっかりと表現できる方々なので、公務員や政治家たちだけが理想とするような天皇には、ならないことだけは確かです。」

ここまで読まれた断片から、一人でも多くの国民がこの著書に関心を持ち、熟読されることを切に希望します。

未来

これは、経済同友会の著書の題名です。小林喜光代表幹事監修となっております。
最初に断っておきますが、経営者団体なので当然そのポジショントークが気がかりとなる部分もあります。例えば「今だけカネだけ自分だけ」のフレーズで「カネだけ」は省略されて「今さえ良ければ、自分さえ良ければ」と云う表現になっています。思わず吹き出してしまいました。
財政破綻の手当が一刻の猶予もならないと云う危機意識は良いが、そのためには消費税をヨーロッパ並みの20%以上に引き上げるべきだと云う主張には無条件で賛同することはできません。

以上のマイナス面にも拘らず、数多くの有益な分析や対策が含まれていることに注目しなければなりません。目次とは別に危機感の根拠(現状分析)、経済同友会が策定した「日本が目指すべき社会像についての提言Japan2.0 最適化社会の設計ーモノからコト、そしてココロへー」について以下ご紹介します。

「日本は今岐路に立っている」がサブタイトルだが、いやかってほとんど経験したことのないレベルの危機に直面していると言ったほうが正確だろう。これは敗戦により焦土と化した70余年前に匹敵する困難であり、更には「ひたすら経済成長を目指す」と云う目標が描けた往事とは、質の異なるクライシスである。

残念ながら、そうした危機が、政治家や官僚、経済人、そして国民に広く共有されていない。そのことこそが危機の本質なのだ。

第一に、日本の財政はすでに1000兆円を超える公的債務を積み上げてしまい、破綻の危機にある。一方毎年の予算規模はおよそ100兆円で歳入はその6割、残りの4割が国の借金だ。収入の10倍の借金を抱え、さらにそれを積み増しているのが、今の日本と云う国だ。家庭ならとっくに破産、企業なら倒産していてもおかしくない。

第二に、急速に進行する少子化、高齢化の問題がある。この人口構造の激変が財政赤字の一因となっているばかりでなく、労働力の減少により経済成長の鈍化を招いている。

第三に、格差や貧困の拡大、民族や宗教の対立、水や食料の不足、資源・エネルギーの枯渇、そして地球規模での気候変動と云ったグローバルアジェンダの存在である。言うまでもなく、どれもこれも対岸の火事で済まされるテーマではない。

この他、産業の衰退も著しく、平成元年、ジャパンアズナンバーワンと呼ばれたあの時代、世界の株式時価総額比較で日本の企業は上位5社を独占し10位までに7社がランクインされていた。その後2019年に至っては1社も入っていないどころか日本のトップ企業であるトヨタでさえ35位に低落している惨憺たる状況だ。

これは新分野の半導体、液晶ディスプレイ、バイオなどが国際競争に取り残され、拡大していくデータ・セントリック科学分野でもGAFA(グーグル・アップル・フェースブック・アマソン)に巨大市場を独占され、オンラインマーケットを展開するアリババやJD.comのような中国企業にさえ負けている状況から生じている。

次世代の通信技術5Gではすでに中国のファーウエーが世界のトップに躍り出ている。

世界の潮流はグローバル化、デジタル化、ソーシャル化、この三っつのうねりが社会の仕組みをドラスティックに変えつつある。「日本の危機」は直視すればするほど、それは複雑で根が深く、もはや対症療法で改善が見込める段階でないことが分かる。
ーーーーーーーーーー

本書は全体を通してあらゆる角度から危機感を語っているのですが、処方箋も明確に示しているのが特徴です。それは「Japan2.0」と称して多角的に提言がなされています。考え方の基本は、失われた持続性と多様性の回復です。

「Japan2.0」は起点を2021年として「持続可能な社会」の実現にめどをつけるのが2045年としています。

現代の国家価値の評価は三次元で捉えれば理解しやすい。これが我々経済同友会の結論である。そのモデルはX軸=経済の豊かさの実現、Y軸=イノベーションによる未来の開拓、Z軸=社会の持続可能性の確保ーーーと云う三つの軸を設定しそれぞれ具体策を提言しています。

具体策についてはかなりのボリュームなのでここでは省略します。最初に断ったこの提言のマイナス面に戻りますが、この提言が経営者目線であるにしても、次の問題提起には注目せざるをえません。

「低成長が長引くことに伴う中間層の減少により、政党政治における中道派も勢いを失った。民衆とエリートとの間には、超えがたい壁が生じることになった。社会の二極化に対し、折り合いをつけながら現実的で効果のある解決策を見出し、断絶を修復していく役割を、政府や議会は果たせなくなっている」。

この問題提起は非常に重要で経済アナリストの藤原直哉氏も同じような問題意識をもっておられる。
日本の社会は戦後のイデオロギー対立から、ネトウヨと呼ばれるような変則的右翼とこれに噛み付くリベラル左派との空中戦ばかりが目立ち、野党は安倍政権の終わりなき嘘と誤魔化しに対しもぐら叩きに始終する事態が現れている。つまり、危機的原状に目を向けず、基本に戻り本質を突くような議論が殆どなされていない。

つまり中間が存在せず本質論が出にくくなっているのです。リベラル左派の激烈な批判はそれなりに効果があるものの、国民に訴える力を失い自分たちの仲間で固まって広がりを失っているのです。その原因は正しい危機意識に基づく正しい処方箋が描けていないことに起因しています。

ネトウヨが受け入れられないと同様にリベラル左派の喚きも国民に理解されないのは当然です。「消費税ゼロ」「カネを刷りまくって福祉に当てろ」など論外です。不真面目以外の何ものでもありません。

消費税については逆進性が強い面を指摘して、これ以上の値上げに反対するのは当然だとしても、現在の財政破綻の状況に危機感をもち、後世につけを回す不道徳を考えれば、経済同友会の20%論も現状認識としては無視する訳にはいかないでしょう。もちろんその前にやるべきことがあることを踏まえて別の対策を提言する義務があるのです。

経済同友会の「危機感なき茹でガエル日本」は警告の書として貴重な情報を与えてくれました。是非読まれることをお勧めします。